シャロン プロフィール

大阪に生まれて25年間過ごし、

25歳から関東に出てきてちょうど25年が経ちました。(ニコニコがいっぱい!)
2020年、ちょうど50才です。

そんな私の、自己紹介をさせてください。。

●出生~幼少期
1970年 大阪生まれ。
商売人の両親のもと3人姉妹の末っ子として育ち、明朗活発・好奇心旺盛・クラスのリーダー的存在でにぎやかに過ごす一方、一人でマンガを描いたりトランプ占いをするのも好きな子でした。文通も大好きで、一時期は30人位とやりとりしていました。(今も繋がっている人がいます)

●小5の出会いが運命を決める!
恥ずかしがり屋なのに人前に出ることが大好きで、クラスのお楽しみ会では必ず「劇やろ、劇!」とオリジナル脚本を作り披露。劇団やアイドルのオーディションを受けたり、ラジカセでラジオ番組(仮)のテープを作ったり、とにかく表現することが楽しくて。
そんな時、運命を変える本に出会います。その名も・・・「ガラスの仮面」!!!
女優に命を捧げる主人公の姿に胸を打たれ共感し、「東京に出て女優になる!」と決心してしまうのです。

●中学時代
女優になる!と決意したものの、その夢を発揮する場もなく中学生になった私は、バリバリ反抗期突入。親にいっぱい迷惑をかけました。(今も…)
自由になりたい!早く家を出たい!早く東京いきたい!そんなことばかり考えている毎日。心の友と信じていた友達に裏切られ、人間不信に陥ったこともありましたが、最終的にまた別の友達が私の心を明るく照らしてくれました。(今も仲良しです)

●高校時代

仏教系の女子高へ進学。
在学中に吉本興業オーディションに合格、情報番組の高校生レポーターとして活動。ビデオカメラも携帯も持ってる人が少なかった時代、テレビで見る自分の姿に衝撃!ものすごく新鮮でした。

占いに行き始めるのもこの頃からです。当時天王寺の喫茶店にいたおじさん占い師の元へ週3~4の割合で通っていました。個性的なおじさんですが独特の味わいがあって好きだったんです。友達の鑑定にも毎度付き添い、隣に座ってフムフムと頷いていました。

●大学入学→中退
さて高校終盤、進路を決めなくてはいけなくなる時がやってきます。友達はほとんど内部進学で女子大へ。私は…… 「うん、東京で女優になる!」

親に話したところ即却下。担任の先生からも進学をすすめられます。自立するお金もなく優柔不断な私は大人達を説得しきれず・・・・「女優になるのなら戯曲も書けた方が良いのかも!?」 と、何とか理由をつけ自分を納得させ、大阪芸術大学の文芸学科に入学。
したものの・・・
「私がやるべき事はこれじゃなかった!」と気づいてしまうのです。
大学には舞台芸術学科があり演劇も専攻できたのですが、文芸学科に入ってしまったのではもう遅い・・・ぅぅ・・・楽しくない‥‥
魂が「自分の道に行って!」と叫んでいるのを無視する事は出来ませんでした。
GW明けには大学に行かなくなり(早!)東京に行くためのお金を貯めようと様々なバイトを始めます。(大学はあっさり中退しましたが、友達はちゃっかりできました!)

●夢に向かって!フリーター時代
昼はデパ地下で和菓子屋さん、夜は居酒屋やスナック・・・
その傍らで、市民劇場や地元劇団の舞台に出演、経験を積ませてもらいました。
両親には「2年間やってみてあかんかったら戻ってくる」と約束をし、25才になる年、やっと上京する事が出来ました。
その時の喜びといえば・・・!
今思い出しても嬉しくて涙が滲み出てきます。

●いざ東京!演劇街道まっしぐら!?
円演劇研究所の門をたたき、故・岸田今日子さんや橋爪功さんはじめ、そうそうたる先生方から演劇の基礎を学びます。演技・バレエ・日舞・ミイム・歌・・・・朝から晩まで深夜までそして朝まで!
大学を中退した私にとって、この時期こそが「我が青春時代!!!」
演劇漬けの毎日がワクワクで、生きているのが最高に楽しかったです。

●演劇研究所卒業後
研究所を2年で卒業、同期はそれぞれの道へ。私はこれからどうしよう…
そんな中、研究所の先生からお声をかけていただき、日本人なら必ず読んでいる、戦争をテーマにした原作のミュージカルの準主役として客演をする事が決まり、足かけ2年、ニューヨークや日本各地での巡回公演を行いました。
この時の経験は間違いなく勉強になったとしか言えないのですが・・・本当に辛かったです。
この時以上に孤独を感じた事はありませんでした。
大好きな一番やりたかったことをしているはずなのに、何か大事なものをそぎ落とされていくのを感じながら、内面で悲しみに震えながら過ごさなくてはなりませんでした。

人を笑わせる事が大好きな私から、心からの笑いが出なくなり、突発的にアパートの壁をペンキでレモンイエローに、テレビをピンクに塗っちゃったりしてやり過ごしました。(今思うと完全に病んでましたね…)

その後ポカンとしていた所に、
「30代、お母さん役ができる、コメディもできる人」枠で小劇団から客演のお誘いがきます。
必要とされることが嬉しく、演じる楽しさも取り戻し、結局その劇団に7年ほど居続けることになります。小劇団ゆえ出演&制作&チケット売りも自分たちでせねばならず、毎回ノルマを抱えながらの目まぐるしくわかりやすい貧乏生活

●新宿ゴールデン街
そんな私が心の支えにしていたのは、新宿ゴールデン街でのスナックのママをしていた時間でした。
素の自分のままで居られ、呑んだり遊んだりおつまみの作り方を教えてもらったり。そこに通ってくれている人達と心を交流させることで沢山の出会いと発見がありました。
そして、やっぱり私は人と交わり合うのが大好き!人の笑顔を愛してる!と確信!

●出産、そして・・・
2009年息子を出産するまで、劇団とゴールデン街は続けさせていただきました。
その後しばらく、育児育自・・の日々。
幼子を抱えつつ、舞台や夜の仕事は当分できない、そんな私が演劇以外にやりたいことって何だろう・・・・

「占い!!!!!」  (やっと!)

そうやん!あった、私の好きなこと!

思い立ったが吉日、

人気タロット占い師のジョン(犬)さんからタロット占いのプライベートレッスンを受け、「デビューしていいよ」とお墨付きをもらい、占い師として小さな一歩を踏み出しました。
ジョン(犬)さんHPはこちら
ベント参加、カフェやライブハウスでの鑑定、その都度出会いがあり勉強させてもらい、今に至ります。

●さいごに・・・・
1度きりの人生、もしまた演劇舞台の出演を依頼されたらきっと引き受けるでしょうし、その他にも楽しそうなお誘いがあればひょいひょいと乗ってゆく自分で生きることにしました。

占いを通して色々な方に会いたいです。

どんなに周りから見て後ろ指をさされるかもしれない状況の中にある方でも「全然ええやん」というところから向かいます。自動的にそういうスイッチが入ります。

そしてきっとそれが本当なのです。

どんなことも受け入れて、あなたとポワッとしたいです。

ポワッとなれる出口を一緒に探します。

シャロンならではのとびきりの笑顔と、舞台で鍛え上げた通る声でたくさんお話ししましょう。

私の風貌を見てまずはクスッと笑ってください。
タロットの叡智と数秘の神秘を混ぜ合わせた占いでさらににっこりしてください。

「ええやんマインド」に触れたくなったら是非ご連絡ください。

あなたとお目にかかれるのを楽しみにしています♪

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!!!

 

シャロン